| 名称と所在地 |
| データベース更新年 |
2024 |
| 正式名称 |
美保神社 |
| よみがな |
みほじんじゃ |
| 略称・通称 |
―― |
| 法人登記年 |
1953年 |
| 本部の所在地 |
690-1501 島根県松江市美保関町美保関608 |
| 聖地の名称と所在地 |
―― |
| 公式ホームページ |
http://mihojinja.or.jp/ |
| 公式SNS |
【Facebook】無 |
| 【X】無 |
| 【YouTube】無 |
| 【Instagram】無 |
| 【その他】無 |
| 外部からの問い合わせ窓口 |
| 電話 |
0852-73-0506 |
| FAX |
0852-73-0317 |
| 電子メール |
―― |
| お問い合わせフォーム |
―― |
| 問い合わせの部署名 |
―― |
| 外部に独自の対応もしている支部 |
| 所在地 |
―― |
| URL |
―― |
| 教団・団体の主な沿革 |
| 美保神社の創建年代は不明だが、境内からは古墳時代の勾玉の破片や、雨乞いの儀式などで使用されたと推測される土馬が発見されており、すでに古墳時代において何らかの祭祀が行われていたことが伺える。奈良時代の天平5年(733)に成立した『出雲国風土記』にはこの社の記載があり、また延長5年(927)成立の『延喜式』にも当社の名前がみえる。中世の様相は不明な点が多いが、伝えによれば戦国時代には毛利・尼子両氏の合戦の最中、兵火にかかり本殿以下附属社殿が焼失したとされる。後の文禄5年(1596)5月、吉川広家の寄進により、二柱の神を祀る本殿が再建された。江戸時代には松江藩からの崇敬も篤く、出雲大社・佐太神社のいずれにも属さない一社一令社(いっしゃいちれいしゃ)の社格となった。また、社家の横山家は宝暦13年 (1763) 以降、京都の神祇伯家である白川家の門人となり、諸祭儀の伝授を受けた。寛政12年(1800)には「美保関大火」とよばれる大火事にかかり、本殿以下地域一帯が灰燼に帰したが、文化10年(1813)に松江藩主の寄進によって本殿を再建し、これが現存する本殿である。明治維新を経た明治18年(1885)には国幣中社に列格、昭和3年(1928)には大造営を執行し、社地の後背部を切り開いて本殿を移築、新たに設計した拝殿を建立し、現在の社殿・境内地の基礎となった。戦後の昭和57年(1982)には本殿が国の重要文化財に指定された。平成10年(1998)からは「平成の大造営」として本殿等の解体修理、遷宮が行われた。 |
| 信者数 |
| 国内信者数 |
―― |
| 国外信者数 |
―― |
| 教団・団体の活動 |
| 活動の趣旨 |
本神社ハ惟神ノ大道ニ遵ヒ普ク同胞ヲシテ神恩ヲ奉謝シ神徳ヲ體セシメ淳厚ナル民風ヲ作興シ以テ世界人類ノ福祉ニ寄與スルヲ目的トス |
| 家庭での信仰活動 |
當屋制度のなかで諸役を担う者は、潮?や日参等の修行を行う。 |
| 教団施設での活動 |
―― |
| 参加・所属について |
| 入会規程 |
―― |
| 入会金の有無 |
無 |
| 会費の有無 |
無 |
| 退会規定の有無 |
無 |
| 教典およびそれに準ずるもの |
| 古事記・日本書紀 |
| 崇拝対象 |
| 主祭神 三穂津姫命 事代主神 |
| 年間の主な行事 |
| 行事名 |
月日 |
| 歳旦祭 |
1月1日 |
| 初ゑびす祭 |
1月7日 |
| 紀元祭 |
2月11日 |
| 祈年祭(敬神講社春季大祭) |
2月17日 |
| 例祭 |
4月7日 午前 |
| 青柴垣神事 |
4月7日 午後 |
| 神迎神事 |
5月5日 |
| 新嘗祭(敬神講社秋季大祭) |
12月3日 |
| 諸手船神事 |
12月3日 |
| 月次祭 |
毎月7日 |
|
| 教団の刊行物 |
| 書籍 |
―― |
| 電子媒体 |
―― |
| 定期刊行物 |
―― |
| 教団として現在継続的に取り組んでいる社会活動 |
| ―― |
| 他教団との連携 |
| 神社本廳、 出雲の国「社寺縁座の会」 |
| 教団・団体の運営する関連組織 |
| 保育園・幼稚園・学校 |
―― |
| 研究機関 |
―― |
| 社会福祉法人・その他 |
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