京都霊山護國神社
名称と所在地 | |||||||
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データベース更新年 | 旧データベース(1998~2013年)からの引継ぎ | ||||||
正式名称 | 京都霊山護國神社 | ||||||
よみがな | きょうとりょうぜんごこくじんじゃ | ||||||
略称・通称 | 京都神社 | ||||||
登記年 | |||||||
本部の所在地 | 〒605-0861 京都市東山区清閑寺霊山町1 | ||||||
聖地の名称と所在地 | |||||||
公式ホームページ | http://www.gokoku.or.jp/ | ||||||
公式SNS | 【Facebook】 | ||||||
【X】 | |||||||
【YouTube】 | |||||||
【Instagram】 | |||||||
【その他】 | |||||||
外部からの問い合わせ窓口 | |||||||
電話 | 075-561-7124 | ||||||
FAX | |||||||
電子メール | |||||||
お問い合わせフォーム | |||||||
問い合わせの部署名 | |||||||
外部に独自の対応もしている支部 | |||||||
所在地 | 同上 | ||||||
URL | |||||||
教団・団体の主な沿革 | |||||||
明治元年5月10日、明治天皇から、維新を前にして倒れた志士の霊を祭るため東山の佳域に一社を創立せよという御沙汰書が出された。それに感激した京都府、山口、高知、福岡、熊本、鳥取、久留米の諸藩と澤三位家、徴兵隊が霊山山上にそれぞれ祠宇を建設したのが創祀であり、我が国招魂社の始まりである。それより当社の祭祀と営繕には国費があてられ、社号には特に「官祭」を冠して「霊山官祭招魂社」と称した。 昭和11年、支那事変が契機となって、京都府出身の英霊を悉く当社に合祀しようという運動がおこり、霊山官祭招魂社造営奉賛会が組織され、境内を拡張し、新たに社殿が造営された。当社の合祀造営が魁として、政府においても、郷土出身の英霊を奉祀するために、従来の招魂社制にかわって、全国の各都道府県に護国神社を指定することになり、昭和14年4月1日、内務大臣指定(告示142)により「京都霊山護国神社」と改称した。 |
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信者数 | |||||||
国内信者数 | |||||||
国外信者数 | |||||||
教団・団体の活動 | |||||||
活動の趣旨 | 維新の志士と京都出身の英霊の奉祀 | ||||||
家庭での信仰活動 | |||||||
教団施設での活動 | |||||||
参加・所属について | |||||||
入会規程 | |||||||
入会金の有無 | |||||||
会費の有無 | |||||||
退会規定の有無 | |||||||
教典およびそれに準ずるもの | |||||||
崇拝対象 | |||||||
誅組の主将中山忠光卿ら、霊山官祭招魂社に奉祀された勤王の祭神519柱。 東福寺、大雲院、泉涌寺の官祭招魂社などから明治41年までに合祀された勤王の祭神1356柱。 日清、日露、満州、支那、大東亜の各戦役の英霊。 (昭和51年4月1日現在の祭神数73003柱) |
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年間の主な行事 | |||||||
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教団の刊行物 | |||||||
書籍 | |||||||
電子媒体 | |||||||
定期刊行物 | |||||||
教団として現在継続的に取り組んでいる社会活動 | |||||||
他教団との連携 | |||||||
教団・団体の運営する関連組織 | |||||||
保育園・幼稚園・学校 | |||||||
研究機関 | |||||||
社会福祉法人・その他 |