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奈良県明日香村の小山田遺跡で7世紀中頃の古墳の一部とみられる遺構が出土したことを、奈良県立橿原考古学研究所が1月15日に発表した。この遺構は奈良県立明日香養護学校の改築にともなって発見されたもので、東西の長さ約48mにわたる石敷きの堀の跡である。幅は7m以上、高さは1.5m以上におよぶ。北側の斜面と底部には川原石が敷かれ、南側の斜面には板状に加工された室生安山石が積まれている。全体の長さは50m以上あることが地下探査で確認され、巨大な方墳の北側の堀とみられている。なお、埋葬施設などはみつかっていない。 この遺構が古墳であるとすれば飛鳥時代では最大級のものとなるが、埋葬された人物をめぐっては研究者の間でも意見が分かれる。『日本書紀』によれば舒明天皇は「滑谷岡(なめはざまのおか)」に葬られたあと「押坂陵(おしさかのみささぎ)」に改葬されたとあるが、橿原考古学研究所は新発見の方墳がこの舒明天皇の初葬墓に該当するとの見方を示した。他方、遺構の場所は蘇我蝦夷・入鹿親子の邸宅があったとされる甘樫丘(あまかしのおか)の南端にあたるため、蝦夷の墓とする説も出ている。一方で、「古墳」と断定することに慎重な意見もある(日経・東京1/16、産経・東京1/16、京都・京都1/16ほか)。奈良県教育委員会は2月12日の会見で、改築工事の一部を変更して遺構を保護し、埋め戻す方針であることを明らかにした(朝日・東京2/13)。 |