*宇久島にキリシタン習俗、信仰消滅後も残る
記事年月 | 2019年1月-3月 |
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号数 | 82 |
媒体 | 国内 |
大分類 | 【A-4.キリスト教】 |
国名 | 日本 |
トピック | |
記事タイトル | *宇久島にキリシタン習俗、信仰消滅後も残る |
本文テキスト | 長崎県佐世保市宇久町の一部地域で、キリシタン特有の埋葬法などが近年まで受け継がれていたことが判明した。世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産がある五島列島には多くの信徒が潜伏したが、最北部の宇久島では1622年に島内でイエズス会宣教師が捕まり処刑された後、信徒はいなくなったとされてきた。 宇久島では火葬が普及する1965~74年ごろまで、座った姿勢の死者を円筒形の棺桶に入れて土に埋める仏教式の屈葬が一般的だった。しかし宇久島の本飯良(もといいら)地区では近年まで、長方形の棺桶に仰向けにし、胸の上で両手の指を組み、膝を軽く曲げて埋葬されていた。こうした伸展葬はキリシタンの墓に特有のものであり、死後に復活する教えに沿ったものだという。この他、女性親族は葬儀でヴェールに似た白い布を被ることや、江戸時代前期から17世紀後半のものとみられるキリシタン的な要素がうかがえる長方形型の墓が残っていることなど、島内で信仰が途絶えた後も習俗は残っていたことを示す痕跡が確認された。調査を行った大浦天主堂キリシタン博物館(長崎市)の大石一久氏によると、全国的に珍しい特殊な事例だという(長崎・長崎1/3)。 |