*葬儀 従来のキリスト教への反省的提言
| 記事年月 | 2012年4月-6月 |
|---|---|
| 号数 | 55 |
| 媒体 | 専門紙 |
| 大分類 | 4月 |
| 国名 | 日本 |
| トピック | キリスト新聞 カトリック新聞 クリスチャン新聞 |
| 記事タイトル | *葬儀 従来のキリスト教への反省的提言 |
| 本文テキスト | 葬儀について従来のキリスト教に対する反省的提言を2つ取り上げる。井上彰三氏(現カトリック。元NCC宗教研究所研究員)はかつて教会での子どもの葬儀についてこんな体験をした。<牧師は、両親が罪を悔い改めてキリスト教を信じるようになることが、亡くなった子どもの望みだと説教し、信者ではない参列者から強い反発の声が挙がった>。これについて井上氏は「説教自体が伝道(宣教)」だという<誤解によるものだったと考えている>。結論的に同氏は<葬儀は宗教を超えたもの>とし、仏教も古代教会も<教義でなく、故人を思う人の悲しみに寄り添うことを優先し、葬式を取り入れることで>教えが伝わり広まったという(カ29日付)。 藤掛明・聖学院大学准教授はクリスチャンの問題について言及する。人は死別の悲しみのダメージから回復しようと、時に過去のことを無理に忘れようとする。とりわけ<(キリスト教)信仰者の場合、死に勝利する信仰を持つが故にこの傾向が強くなることがある>という。そして藤掛氏は<それでは順番が逆であり、先に進めない>とし、<その時々の方法で故人を忘れずに嘆き悲しみ続けることで、回復が実現する>と指摘。そのために社会の儀式の意味や<個人の心の儀式>の必要性に言及している(ク8日付)。 |