*興福寺の東金堂、南部焼き討ち後も同規模で再建と判明
記事年月 | 2021年10-12月 |
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号数 | 93 |
媒体 | 国内 |
大分類 | 【A-2.仏教】 |
国名 | 日本 |
トピック | |
タイトル | *興福寺の東金堂、南部焼き討ち後も同規模で再建と判明 |
本文 | 奈良文化財研究所は10月6日、世界遺産の興福寺(奈良市)の国宝「東金堂」の門や回廊の跡が出土し、1180年の平家による「南都焼き打ち」後の再建も造営当初と同規模で行われていたことが判明したと発表した。興福寺の歴史を知るうえで貴重な発見だという。東金堂は726年に聖武天皇が創建したとされるが、たびたび焼失し、現存のものは1420年頃に再建されたという。同研究所は7月から発掘調査を開始。今回の調査では、門や回廊の基壇(基礎)の石材や雨落溝、礎石を据えた穴などが発見され、門や回廊の規模・構造が明らかになった。また、発見された遺構から判明した門の基壇と建物の規模は、平安時代に寺の由来を記した『興福寺流記』に記載がある奈良時代の規模と一致するとされる(日経・東京・夕10/7、産経・大阪10/7)。 |