久能山東照宮

久能山東照宮

詳細
データベース更新年
データベース更新年 旧データベース(1998?2013年)からの引継ぎ
名称 久能山東照宮
読み仮名 くのうざんとうしょうぐう
略称・通称 NULL
所在地 〒422-8011 静岡市駿河区根古屋390
URL http://www.toshogu.or.jp/
外部問い合わせ先
住所 同上
電話番号 054-237-2438
FAX番号 054-237-9456
メールアドレス syamusyo@toshogu.or.jp
SNS NULL
沿革(明治以降の記述が中心)
法人登記年 1946年
内容 史跡久能山は日本平と共に太古海底の隆起によって出来たもので、長い年月の間に浸蝕作用等のため堅い部分のみ残り、現在のように孤立した山となったが昔は日本平と続いていた。高さ270m前面は眼下に駿河湾を見下し、東は近くに伊豆半島を西は遥かに御前崎を一望できる素晴らしい風景です。久能山は推古天皇の時(西紀600年頃)久能忠仁が始めて山を開き一寺を建て観音菩薩を安置し、補陀落山久能寺と称したとあり、久能山の名称もこれから起ったと思われる。
其後、僧行基を始め多くの名僧等が相次いで来たり住み建物の数330坊も建ち並んで非常に隆盛であったが、嘉禄年間(1225年頃)山麓の失火によって類焼し昔の面影はなくなったのである。永禄11年(1568年)武田信玄は当山が要害であることを聞き、久能寺を近くの北矢部(清水市今の鉄舟寺)に移し山上に城砦を設け久能城と称した。天正10年(1582年)武田氏亡びて駿河の国一帯が徳川氏の領有するところとなったので久能山も自然徳川氏のものとなった。
元和2年(1616年)4月17日家康公の薨後、久能城を廃止し、東照宮を建立現在に至っている。
国内および国外の信者数
国内信者数 5千?1万人
国外信者数 100人以下
活動趣旨および目的
内容 皇室の弥栄と日本国・国民の安泰を願う。
年間の主な行事
内容
行事名 月日
例祭 4月17日
春季大祭(具足祭・大祭) 2月16日・2月17日
秋季大祭 10月17日
月次祭 毎月1日・17日
月次誕辰祭 毎月26日
宗教者の活動・布教・教化
内容 神道ではあてはまらない。
信者の家庭での日常的な信仰生活(儀礼・修行など)
内容 毎朝洗米、酒、塩、水を神棚にお供えをする。毎日できないときは 月の1日、15日にはお供えをし、お参りをする様お願いしております。
信者の宗教施設での活動
信者の宗教施設での活動 清掃奉仕活動。
参加・所属について
参加・所属の手続き 特になし
参加・所属の単位 特になし
他宗教との重複 できる
入会金の有無 不要
入会金額 NULL
会費の有無
会費額(年額) 顕彰会は普通会員2000円、賛助会員5000円、特別会員50000円、講社は500円が必要
義務の有無
義務の内容 年1回の総会への参加 
信者組織の有無 NULL
信者組織名 当宮では氏子・崇敬者と名するものはないですが、久能山東照宮顕彰会、久能山東照宮講社の2つがあります。
退会規定について
退会規定の有無
退会規定の内容 各自の自由
教典およびそれに準ずるもの
内容 なし
崇拝対象
内容 徳川家康公(東照宮)
豊臣秀吉公
織田信長公
当該宗教の刊行物および当該宗教の概要に関する刊行物
内容
著者 書名 出版社 発行年
全国東照宮連合会 徳川家康公 全国東照宮連合会 1965年
資料目録、徳川、松平家ゆかりの女性 久能山東照宮博物館 1990年
廣井雄一監修 久能山東照宮傳世の文化財 刀剣編 久能山東照宮博物館 1994年
久能山東照宮博物館 久能山東照宮博物館100選 1995年

手紙、電話にての依頼でも郵送致します。本は1冊1000円と送料が必要です。

当該宗教の定期刊行物
内容 NULL
映像・音声(入手可能なもの)
内容 NULL
研究上の目的が明らかである場合の資料・情報の公開
公開可否  
公開条件等 NULL
社会活動
内容 スポーツ少年団
他の団体(宗教の連合体・他宗教・NPO法人等)と行っている社会貢献活動
内容 全国重要文化財所有者連盟

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